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ここの説明
染付と赤絵の説明で、磁器は朝鮮の陶工が海を渡り・・・と言葉を濁しましたが、朝鮮半島から伝わった当時の事を記載します。
16世紀末と言えば、豊臣秀吉を思い浮かべるかと思います。

秀吉の朝鮮出兵により連れて帰られた朝鮮の陶工。

その中の李参平が有田泉山に磁鉱を発見しました。

伊万里の陶山神社には李参平の碑があります。

私も実際に行きましたが、その土地全体が磁器の町として橋にも磁器が施されております。

古い物を並べている店は少なかったと記憶しておりますが、今も尚、作り続けている地の方は、皆さん良い方で時間を忘れ拝見させて頂きました。

どうか、一度訪れてみて下さい。

そして日本初となる白磁が生まれ、酒井田柿右衛門が技法を懲らし有田一帯で「伊万里焼」が焼かれるようになりました。

それらは日本各地へと旅立ち、現在でも、あちらこちらで発見されており、それらが古美術商なる店へ並んでおります。

又、海外への輸出も盛んで、主にヨーロッパにも輸出されております。

経験談を所々混ぜさせて頂きますが、今から15〜20年程前になりますが、パリの蚤の市でも実際、伊万里焼のカップ&ソーサーを見つけました。

それと、あれは確かベルサイユ宮殿だったと思います。

装飾豊かな古伊万里を見ました。

和と洋が調和する空間は日本人として妙な気分になりました。

さて、伊万里に戻りますが(一瞬海外に想いを馳せてしまいました…すみません)


有田を領地とする鍋島藩は、藩が直営(と言えば良いでしょうか?)する窯で、染付や赤絵の磁器を製造して、献上品や贈答品として将軍家や大名家に納めておりました。要するに伊万里の中でも高級品です。

鍋島は明治時代を迎えた事に途絶えますが、今泉今右衛門がその技術を復活させて今に至ります。


鍋島は献上品ですので、寸法に規定があります。

鑑定には、そこも組み込まれてきます。


さて、ここまで記載してきますと次は九谷焼に、そろそろ入りたい所ですが・・・。



磁器の誕生のポイントをおさらいしてみました。






*おまけ

フランスのパリ、シャンゼリゼ通りで、犬のうん○を5回も踏んだ思い出が強烈に残っており、美術品等を思い出すより、そっちが先に画像として頭によぎる私は…凡人です。